この記事は、高齢の親が急に弱って死が現実的なものとなり、とまどっているかたの参考になればと思ってまとめました。
母の延命に関する決断に直面した時:1回目
直面したのは2度です。1回目は、それまで認知症の疑いであった母が、大学病院で、悪性の脳腫瘍(膠芽腫)と診断された時です。
入院当日、すぐに「悪性の脳腫瘍です。この年齢で開頭手術は難しいため、できません。放射線治療や投薬などの抗癌治療をすることになります。どうしますか?」
と言われてすぐ私は
「抗癌治療はしません」
と伝えました。
ここだけ読むと、薄情な娘と思われるでしょうね。しかし、そのような迅速な反応をしたのには、理由があります。
母が、80歳になったばかりの元気だったころに何度も私に伝えていたのです。
「延命治療はしないで。でも、痛みはとって欲しい」
大学病院でのとまどい
母が生研手術(頭部に穴をあけて患部の一部組織を採取して調べる)を受け、病状を確認したのち、大学病院の医師たちは、抗癌治療の計画を立てて説明する、と数日後の面会日時を伝えてきました。私は、
「あれ、最初にもう伝えたのに?」
と思いながら、面会室におもむきました。
そこで、ふたたび、「本人が元気だった時に、延命治療はしてくれるな、と言っておりましたので、それには及びません。先生方の貴重なお時間を割いていただかなくて結構です」と伝えました。
さらにその数日後に電話がきて、私の意思を再度確かめてきたのでした。
耳を疑ったのは、
「家に帰らなくてもいいんですか?」
「もしかしたら、歩けるようになるかもしれませんよ?」
という言葉。
唖然としました。
なぜなら、その時の母はもう言葉も意欲もなく、眼もうつろ、自分で体を動かすこともできず、私のこともわからず、お人形のように車いすに乗せられ紐でサポートされていたのに(たぶんずり落ちてしまうから)。
健康的だった足は痩せ、棒のようになっていたのに。(体重は、55kgから38㎏まで減少。ちなみに身長161cm)
家に帰らなくていいんですか、って、なんだ?
歩けるようになるかもしれませんよ?って。
82歳で、あんなに弱っているのに……
大学病院って、よくわからないところだなと思いました。
母の延命に関する決断に直面した時:2回目
私は大学病院での抗癌治療を拒絶しました。
それにより母をどこで看てもらうか、大学病院に常駐しておられるソーシャルワーカーの方と相談することになりました。大学病院では、治療しない患者をおいておくことはできないためです。
結果として療養型病院のお世話になることになりました。療養型病院、一般的には耳にしませんよね。
療養型病院でのポリシーは、口から食べられなくなったときに、胃ろうを作らない。点滴を栄養のあるものにするか、水にするかを家族は選択することになる。
(母は療養型病院⼊院時、すでに四肢を動かせず、会話できない状態でしたが、介助されたら自力で食べることができていました)
療養型病院に転院した後、母は数週間後で⼝から⾷べられなくなりました。点滴をどうするかきかれました。
私は、悩み、栄養のあるものをお願いしました。水にすると、余命は7日間弱と伺っていたからです。
栄養を入れ続け、4週間ほどで母は意識を取り戻すことがなくなりました。電話がかかってきて、「痰がたまると危険なので、定期的に去痰をしてもよいですか?」と聞かれました。去痰をお願いしましたが、もしかしたら母はつらかったでしょうか。
あの時、どうしたらよかったのでしょうか。
点滴を栄養のあるものにしてもらってよかったのだろうか。
去痰をしてもらってよかったのでしょうか。
そもそも栄養点滴ではなく、水にしておき一週間ほどで亡くなることができれば、去痰の苦しさを与えずに済んだのでしょうか。
3年経つ今でも、迷いが消えません。
葬儀の準備をしておく事
詳しくは別の記事にまとめたいと思っていますが、延命治療を受けない場合(そうでなくとも、必要かと私見)、家族が亡くなった場合にすぐ葬儀会社に連絡がとれるよう、準備しておくことをおすすめします。
私も母が亡くなった直後担当者さんに電話を入れ、すぐ来てもらえました。病院から葬儀会社の安置所へ移動していただくためです。
私や子供たちは、すぐに病院をあとにすることができました.