生活

私50代女性がモートン病持ちになった経緯

women's shoes and morton’s neuroma

私は、50歳くらいに、ヒールのあるパンプス、さらにはヒールがないけれども、つま先に向かって細くなっている靴すら履けなくなりました。

自覚症状

40代後半、3cmくらいのヒールのパンプスを履いている時に、どうにも足の指に違和感が出てきたことです。足裏の一部に、ブニュブニュしたカタマリを感じて仕方がない。痛い。

家で裸足になり、歩いてみるとその違和感はないのです。おかしい、と思い、足を触って揉んでみたり押してみたりするけれども、カタマリが見つからない。けれど靴を履くと、痛い。

整形外科に行きました。

「痛み止めをだします」

「靴の中敷きを見直してください」

という二つのことを言われました。

痛み止めを出す、ってなんだよ……。

と、思いましたね。自分の神経を薬で麻痺させて痛みを逃せ、ってこと?

靴だよ。毎日履くんだよ。原因全く解決していないじゃん。

薬で痛みを感じさせなくして回避?

整形外科、ひどいな。と思いました。

過去を振り返る

ですが、その頃は、いろいろ考えました。

私はウォーキングが趣味で、それまで友人とあちこち歩いていました。最長距離は、JR渋谷駅から出発、山手線南半分を歩き秋葉原から中央線沿いにまた渋谷駅まで戻る、という一日約30kmでした。(朝9時出発で、戻りは17時くらいだったと記憶しております)

あの一連のウォーキングが、悪かったのかなぁ。と思ったり。

でも、つらつら思い返すと、その前の、20代からのパンプス生活だったような気がします。

学生時代は、ローヒール、あるいはスニーカーを好んで使っていました。

しかし社会人になると、当時の昭和の常識として、女性はハイヒールを履く、みたいな暗黙の了解がありました。私も、疑うことなくその社会通念に従い、靴を選んでいましたね。経済的に限りのある身では、本当に快適に歩けるヒールのある靴は、選べませんでした。けっこう、いつも痛みをかかえながら歩いていたような記憶があります。

若くて体力があるころは、そういうことができてしまうんです。

さらには、母親の存在ですね。

母親が洋裁の仕事をしていた人で、着道楽。私の服装にもあれこれ口を出してきていました。私は、ローヒールのもの、できればスニーカーを履きたい嗜好でしたが、母親は

「本当に、オシャレじゃないわね」

と言って、靴を買ってくれたりしたのですが、それはハイヒールに近いものでした。

「ほら、あなたの太い脚でも綺麗にみえるじゃない」

と母は言っていましたっけ……。

そんなこんなで、そういう価値観を強烈に植え付けられていましたね。その後も、自分で、足に合わないパンプスを買って履いていましたから。今から思えば、母のおかげで、モートン病になる時間が加速していたことは確かです。

解決への接近

やはり靴を見直すしかありません。

本当にその頃は、持っている靴はほとんど無理になっていました。なにしろ痛くて歩けないのですから。

頭がおかしくなりそうでした。

社会生活をつつがなく送るためには、それ相応の服装、身なりを整える必要があります。靴もその一つ。

足が痛くて、それまでの私の常識内の靴が履けなくなったときのパニックと言ったらありませんでした。更年期の真っただ中でもありましたので体調もよくなくて、困り果てましたね。

そこで、たまたま地域のコミュニティペーパーに載っていた靴屋さんに訪れました。実はそこは、足が大きくてなかなか歩きやすい靴が見つからない長男を連れて行って、靴を紹介していただいたところです。

まさか自分がお世話になるとはー。

フットプリントをとっていただき、足をみていただいて、靴を紹介していただきました。

全体的に、コロンとした印象の靴で、戸惑いました。

店主がおっしゃいました。

「みなさん、こんな靴はけないわ、っておっしゃいます」

かたちが、いわゆるつま先三角じゃないからでしょうね。洋服をスタイリッシュに着こなすために必要な靴として刷り込まれているやつ。

モートン病持ちにとっての希望

そのお店で、紹介された靴を買いました。

その後は、痛みはありません。快適に歩けています。

本当に、あのお店へ行って良かった。

足に痛みをもたらす靴とはおさらばいたしましょう。

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